ガ島における壮絶な最期
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1942年11月、ガダルカナル島奪回の為同島に派遣された 第38師団歩兵第228連隊師団の若林中隊は、見晴山死守を命ぜられたが、奮戦するも衆寡敵せず、1943年1月14日戦死した。 1943年9月21日夜放送されたラジオ番組『若き血に祈る』で陸軍省兵務課長によって、その壮絶な最期が紹介された。 「私は今ここに彼のガダルカナルに日本男子の忠魂を留めて護国の神となられたた若林中尉の雄々しくも崇高な言葉を諸君とともに振り返ってみたいとおもう」として、ガダルカナルにおける若林中尉の凄絶な行動を紹介した。 『両手両足を敵弾に奪われた若林中尉は、当番兵に背負われて大隊長(西山遼少佐)のもとに報告に行った時、大隊長は後ろに下がって傷を治療するように優しく言った。その時、若林中尉はにっこりと笑って答えたのである。《大隊長殿、言葉を返して済みませんが、私は生きながら得て偉くなろうなどという考へは毛頭ありません。私の持っている一切を天皇陛下に捧げ奉ろうとして私は戦っているのであります。私は神国日本の天壌無窮を信じます。私は大東亜戦争の必勝を信じます。私は後に続くものを信じます。香港以来私を中心として戦い抜いた中隊の兵と一緒に死ぬのが私の唯一の願望であります》 そしてまた当番兵に背負われて最前線の陣地に帰り、その愛する部下とともに大義に殉じたのである』。
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