ガイ・バラードの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 09:54 UTC 版)
ガイ・バラードは、その人気の絶頂にあると思われる1939年12月29日、ロサンゼルスにある息子ドナルドの家で午前5:00に60代の若さで亡くなった。死因は動脈硬化だった。12月31日に、彼の体は火葬された。IAM運動では、毎年恒例のクリスマスクラスが行われる中、元旦に、妻のエドナがガイが彼らの教えで魂の保養所と考えられているテトン国立公園から、1939年12月31日の深夜に昇天を完了したと述べた。 IAM運動の支持者にとって、死とは終わりではなく、変化である。よって彼らにとって、昇天とは生きたまま天国に入ることであり、肉体の状態を変えて上昇することだと考える。ガイバラードは、彼の言葉に従えば、イエスの昇天のように、より高い形態の存在に物理的に変容することが出来ると主張した。しかし彼が死の直前に録音した口述メッセージには、死と火葬を超えて昇天するための新しい処理が記録され、サンジェルマン財団に保管されていると言われる。 しかしバラードが全く普通の死で亡くなり、遺体が火葬されたということは、生きて天国に入ることが出来るという教えと矛盾する。これに対するエドナ・バラードの説明は、「昇天」は普通の死で死ぬように見えるが、「 カルマの 51%」のバランスが取れているため、普通の人よりも高いレベルの天国に行くことだと教えている。 より実用的な改良型アセンションの定義は、現在ではアセンデッドマスターの教えにを伝えるすべての宗派に取り入れられている。
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