カリブ海での一触即発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 18:11 UTC 版)
「キューバ危機」の記事における「カリブ海での一触即発」の解説
またソ連海軍の4隻のディーゼル潜水艦 が1962年10月1日ムルマンスクを出港し、キューバのマリエル港へ向かっており、ちょうどキューバ危機の時に、アメリカ海軍が設定した海上封鎖線近くにいた。4隻とも核魚雷を搭載し、もし攻撃を受けたら発射するよう口頭命令を受けていた。 アメリカ海軍はキューバ海域に向かう潜水艦を発見し、これに対してキューバ海域を離れるように警告しても従わない場合、被害のない程度の爆雷を投下して警告することになっていた。 10月27日昼頃、冷戦終結後になって分かったことだが、アメリカ海軍は海上封鎖線上で警告を無視してキューバ海域に向かうソ連海軍のフォックストロット型潜水艦B-59に対し、その艦が核兵器(核魚雷)を搭載しているかどうかも知らずに、爆雷を海中に投下した。攻撃を受けた潜水艦では核魚雷の発射が決定されそうだったが、B-59副艦長ヴァシーリイ・アルヒーポフ の強い反対によって発射を止め、また浮上して交戦の意思がないことを表し、その後海上封鎖線から去ることにより核戦争は回避された。
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