カラカラ帝のテルマエ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 20:17 UTC 版)
ローマのテルマエ(共同浴場)は確かにローマ人が具体的な内部空間にいだいた関心のもっとも壮大なあらわれである。巨大な皇帝浴場にはヴォールトやドームを架した多様な内部空間が存在するが、そればかりか、そこには、そのような諸空間を共にあわせて複合的グループを形成しようとする新しい願いも存在する。このことが分化した機能的計画と関わりのあることは当然であるが、機能的図式だけで説明しうるものではない。ポンペイのテルマエがいまだ諸空間を不規則に配置していたのに対し、ティトゥス帝のテルマエは南北方向を軸とした厳格に左右対称的な構成を示していた。トラヤーヌス帝のテルマエにも十分発達した東西軸がみられる。ローマの集住地のカルドーとデクマーヌスと類縁的なこの構成はカラカラ帝のテルマエとディオクレティアーヌス帝のそれにおいて繰り返された。カラカラ帝のテルマエはコンクリート造のあらゆる可能性を開発した。その遺跡は、今日でも雄大な計画であったことを示している。浴場建物は214m×114mの長方形を型作り、450m×450mの囲われた区域の中に独立して配置され、南北方向の主軸をこの区域と共有している。外側の囲いはかなりなマッスの諸建造物で造られている。北翼には事務所と住居があり、その中央には主玄関があった。また南には、水槽とそれらに沿って観覧席とがあった。後者は浴場の建物の前面で行われる競技を見物するためのものである。競技場の軸は東西の大エクセドラによって支持されている。
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