カニシカの在位年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 03:15 UTC 版)
カニシカの在位年については長く議論されてきているが、現在に至るまで定説と呼べる物は無い。年代推定の根拠となるのは以下のような点である。 『後漢書』には西暦125年頃までのクシャーナ朝の事情が記されているが、この中でカニシカ王に全く触れられていないことから、カニシカの即位は125年より後であったと考えられること。 コインなどのクシャーナ朝の遺品の研究からカニシカの治世がヴィマ・カドフィセスより後であると考えられること(この点はラバータク碑文にヴィマ・カドフィセスがカニシカの父であるとする記述があったことからも裏付けられた)。 『三国志』の記録に魏の太和三年(229年)に大月氏王波調(ヴァースデーヴァ)の使者が訪れたという記録があること。 などである。 カニシカ紀元74年から98年頃がヴァースデーヴァの治世であった(前後にもっと長い可能性がある)ことが考古学的に知られており、ここから逆算してカニシカ紀元の第1年が西暦168年より前であると推定されている。 こういった証拠と、その他のわずかな傍証からカニシカ王の在位年代が推定されている。フランスの学会では144年 - 173年説が多く支持されているが、なお定説とは言えないという[要出典]。インドの学者ディクシトは144年 - 164年頃と主張し、また他にも多くの説がある。しかし概ね2世紀半ばの人物であるという点ではいずれの説も一致している。
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