オーストリア内相就任まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 21:57 UTC 版)
「アルトゥル・ザイス=インクヴァルト」の記事における「オーストリア内相就任まで」の解説
ザイス=インクヴァルトは1931年にオーストリア・ナチ党に入党し、その後ナチスが勢力を増し、1933年にドイツの政権党となった後にドイツとオーストリアの合併を主張した。 1936年7月11日に、ドイツの駐オーストリア公使フランツ・フォン・パーペンの仲介で、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーとオーストリア首相クルト・シュシュニックの間に協定が結ばれたが、これには秘密協定が付属していた。「ヒトラーがオーストリアに内政干渉するのをやめる代わりにオーストリア・ナチスの穏健派をオーストリア政府の中に受け入れる」という内容だった。 ザイス=インクヴァルトはオーストリア=ナチ党の中でも穏健派とされるグループのリーダーであり、非合法活動を拒否していた。政府が自分達との協議に応じないのであれば暴力的な非合法活動を辞さないという下オーストリア大管区指導者ヨーゼフ・レオポルト(ドイツ語版)一派と対立していた。シュシュニックもレオポルトよりザイス=インクヴァルトとの協議を好んだ。 1937年5月にシュシュニックはザイス=インクヴァルトをオーストリア政府参事官に任じた。さらに1938年2月12日にドイツ・バイエルン州ベルヒテスガーデンでヒトラーとシュシュニックの会談が行われた。ここでザイス=インクヴァルトの内相就任が約定された。シュシュニックは2月16日にザイス=インクヴァルトを内務大臣に任命した。
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