オーストリア問題を契機とする伊仏関係の急速な改善
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 01:37 UTC 版)
「ローマ協定」の記事における「オーストリア問題を契機とする伊仏関係の急速な改善」の解説
しかし、ナチ党による政権掌握は両国の認識を一変させることとなる。ヒトラーの主張するオーストリア併合はイタリアにドイツと国境を接する危険性をもたらしたことから、オーストリア併合を阻止するという点で両国の利害が一致、急速に関係改善が進められた。その後1934年に発生したオーストリア首相エンゲルベルト・ドルフースの暗殺とイタリアの国境への動員、ドイツによるオーストリア独立擁護の宣言に至るオーストリア問題を通し両国の協力関係はさらに進展し、34年10月のマルセイユにおける仏外相ルイ・バルトゥー(fr:Louis Barthou)とユーゴスラヴィア国王アレクサンデル暗殺事件による一時的緊張などはあったものの関係が崩れることはなかった。
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