オバドヤ・ヨセフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/10 18:53 UTC 版)
一方では過去のヘーレムについての和解がなされた例もある。2007年9月、シャスの霊的指導者であるオバドヤ・ヨセフは、ハシドゥート・ブラーツラウのメンバーらがローシュ・ハ・シャナーの度に同宮廷の本部があるウーマニへ巡礼に赴くことを痛烈に批判した。しかし同宮廷の創設者で初代アドモールであるブラーツラウのナフマンについては、「ラビ・ナフマンを批判するなど滅相もないことだ。師は賢者であり、無垢な義人であった。師は『シュルハン・アルーフ』に則ったハラハーの運用を開始した偉大なるアドモールのひとりである」と最大限の賛辞をもって言及している。ラビ・ナフマンにまつわるハグラー(ヴィルナのガオン)と同宮廷との間の歴史的な論争においては、「定められた時間を無視して祈りを行うなどハラハーに背く行為を行っている」というハグラーの主張により同宮廷のメンバーらにはヘーレムが宣告された経緯がある。しかし、これについてもオバドヤ・ヨセフは、「師は宮廷のメンバーに対して、「『シュルハン・アルーフ』からは右へも左へも逸れてはならず、朗誦の時間も祈りの時間もそれぞれハラハーの実践には不可欠なものである。すなわち、朗誦(ケリアット・シャマー)の時間は日暮れから3時間、祈りの時間は4時間」と命じられており、メンバーもそれに聞き従うようになり、ゆっくりではあるが改心していった」と述べている。 なお、オバドヤ・ヨセフは1951年から1952年と1957年から1958年の間にペタハ・ティクヴァーの地方裁判所で判事を務めているのだが、2度目の任期において、義理の兄弟がいる場合のイブームを禁じた首席ラビ組織による1950年の法改訂「ヘーレム・エルサレム」に反して、ハリツァーの代わりにイブームを解禁する判例を出している。これは首席ラビ組織の権威を認めない彼の出身母体であるセファルディムの共同体の意思を代表したものであった。
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