オゴデイ裔オルク・テムル説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 04:43 UTC 版)
「オルク・テムル」の記事における「オゴデイ裔オルク・テムル説」の解説
ペルシア語史料に記されるオゴデイの末裔の「オルク・テムル」に比定する説。ティムール朝で編纂された諸史料によると、クン・テムルの後に即位したのはオゴデイ家の「オルク・テムルUruk Tīmūr」であったという。オルク・テムルは「オゴデイの息子のカラク・オグルの息子のヌビヤの息子」とされているが、これでは13世紀初頭に活躍したオゴデイの曾孫になってしまい、到底年代があわないためこの系譜自体は疑問視されている。子孫を息子、祖先を祖父や父として記述する文献もある為、明らかに直接の子孫であると考えられているが、正確な血統は不明である。 しかし、和田清らの研究に従うと「鬼力赤」の根拠地は河西のアラシャー地方にあり、この地にはモンゴル帝国時代、オゴデイの子のコデンが領地を与えられていた。また、明朝の漢文史料にも「非元裔也(元朝帝室の嫡孫ではない)」とある。これらの傍証から、現在では「鬼力赤」はオゴデイ家の「末裔(具体的な系譜は不明)」である「オルク・テムルÖrüg Temür」と見なす見解が主流である。また、コデンの弟(オゴデイの六男)カダアン・オグルの子孫である可能性も指摘されている。
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