オイラト部族連合の結成とは? わかりやすく解説

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オイラト部族連合の結成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 05:59 UTC 版)

イェスデル」の記事における「オイラト部族連合の結成」の解説

イェスデル治世において最も特筆すべき事件は、クビライ家の統治に不満を持つモンゴル高原西方四部族、すなわちオイラト部族(後のホイト部)、ケレイト末裔ケレヌート(後のトルグート部)、ナイマン末裔チョロース(後のジューンガル)、バルグト諸部がイェスデル戴いて後世四オイラト(Dörben Oyirad)」と呼ばれる部族連合結成したことであったイェスデルハーン位簒奪してから間もない1391年没するその子エンケハーンとして即位したが、この頃には度重なる混乱によってハーン権威失墜しゴーハイ太尉オゲチ・ハシハといったオイラト部族連合指導者に実権奪われていったエンケ・ハーン以後はこれらオイラト部族連合指導者どうしの争い多発し、更にこの隙をついて東方ではウスハル・ハーン遺臣たちがオゴデイ家オルク・テムル戴いてモンゴル復興したため、モンゴル高原混乱深まった一方イェスデルによりクビライ家のハーン断たれたことから明は大元ウルス断絶したものと捉えオイラト部族連合のことを「瓦剌オイラト)」、東方復興したモンゴル部連合韃靼タタール)と呼び決して「(大)元/韃靼」とは呼称しなかった。ただし、オイラト部族連合から出たエセン・ハーンモンゴル部連合から出たダヤン・ハーンそれぞれ大元ハーン」を自称しており、モンゴル人自意識としてはイェスデル以後大元モンゴル・ウルス存続していたと考えていた。

※この「オイラト部族連合の結成」の解説は、「イェスデル」の解説の一部です。
「オイラト部族連合の結成」を含む「イェスデル」の記事については、「イェスデル」の概要を参照ください。

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