エルトゥールル号遭難事故救助
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「桂秀馬」の記事における「エルトゥールル号遭難事故救助」の解説
1890年(明治23年)9月16日、オスマン帝国軍艦エルトゥールル号は3ヶ月以上に及ぶ日本滞在を終えて帰国する途中、和歌山県大島樫野崎にほど近い場所で台風による暴風雨にあい座礁沈没した(死者587名、生存者69名)。事故の報告を受けた宮内省は翌日明治天皇臨御のもと閣議が開かれ、ただちに宮内省官吏の土岐豊之助と高橋守政、宮内省式部官の丹羽龍之助、侍医の桂秀馬、侍医医局医員の五藤克巳、侍医局薬丁の山本章五郎の現地派遣を決定した。また日本赤十字社に対して医員看護婦の派遣を依頼し、神戸和田岬に収容病院を設けた。21日早朝、ドイツ軍艦ウォルフ号が生存者を収容し神戸に到着し、桂等による治療が行われた。生存者69名の内重傷13名・軽傷38名で全員命に別状無く10月10日には軍艦金剛と比叡に分乗しオスマン帝国に向かって出航した。桂等に対して1891年(明治24年)9月11日付にてオスマン帝国皇帝より勲章が送られた。
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