エルトゥールル号遭難事故救助とは? わかりやすく解説

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エルトゥールル号遭難事故救助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 01:01 UTC 版)

桂秀馬」の記事における「エルトゥールル号遭難事故救助」の解説

1890年明治23年9月16日オスマン帝国軍エルトゥールル号は3ヶ月以上に及ぶ日本滞在終えて帰国する途中和歌山県大島樫野崎ほど近い場所で台風による暴風雨にあい座礁沈没した死者587名、生存者69名)。事故報告受けた宮内省翌日明治天皇臨御のもと閣議開かれ、ただちに宮内省官吏土岐豊之助と高橋守政、宮内省式部官丹羽龍之助侍医桂秀馬侍医医局医員五藤克巳、侍医丁の山本章五郎現地派遣決定した。また日本赤十字社に対して医員看護婦派遣依頼し神戸和田岬収容病院設けた21日早朝ドイツ軍ウォルフ号が生存者収容し神戸到着し等による治療が行われた。生存者69名の内重傷13名・軽傷38名で全員命に別状無く10月10日には軍艦金剛比叡分乗しオスマン帝国向かって出航したに対して1891年明治24年9月11日付にてオスマン帝国皇帝より勲章送られた。

※この「エルトゥールル号遭難事故救助」の解説は、「桂秀馬」の解説の一部です。
「エルトゥールル号遭難事故救助」を含む「桂秀馬」の記事については、「桂秀馬」の概要を参照ください。

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