エディ・グラハムの死後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 17:41 UTC 版)
「チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ」の記事における「エディ・グラハムの死後」の解説
1984年よりWWFがビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下で全米侵攻を開始し、アメリカのプロレス界における旧来のテリトリー制が崩壊しつつある中、金融投資の失敗でアルコール依存症に陥ったグラハムが1985年1月21日にピストル自殺。グラハムの死後はデューク・ケオムカとマツダが団体の運営を引き継ぎ、新日本プロレスとの提携も再開し、1986年にはアメリカ修業中のホワイト・ニンジャこと武藤敬司がケンドール・ウインダムとNWAフロリダ・ヘビー級王座を争った。 ヘクター・ゲレロ、ジェイ&マーク・ヤングブラッド、ジェシー・バー、リック・ルード、ヘラクレス・ヘルナンデスなどが台頭し、ロン・シモンズやレックス・ルガーなどの大型ルーキーも輩出したが、WWFの全米侵攻の余波で観客動員は落ち込み、1987年2月にジム・クロケット・ジュニアがCWFを買収。同じ南東部の主要テリトリーだったジョージア地区と同様、ジム・クロケット・プロモーションズに吸収合併されることになった。 CWF売却後、グラハムの息子であるマイク・グラハムはジム・クロケット・プロモーションズを離脱し、1988年4月、新たにフロリダ・チャンピオンシップ・レスリング(FCW)を設立。7月30日にはタンパにて、NWA王座に代わるフラッグシップ・タイトルとして新設されたFCWフロリダ・ヘビー級王座の決定トーナメントが行われ、決勝でディック・スレーターを破ったダニー・スパイビーが初代王者に認定された。その後、FCWはプロフェッショナル・レスリング・フェデレーション(PWF)と名称を変更し、ダスティン・ローデスやケンドール・ウインダムがヘビー級王座を獲得したが、1991年に活動を停止した。 なお、FCWの名称は、長年フロリダを主戦場としていたスティーブ・カーン主宰のWWEの下部団体に引き継がれた。
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