エグバートによる台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 16:50 UTC 版)
「ウェセックス王国」の記事における「エグバートによる台頭」の解説
全アングル人の王(Rex Anglorum)を名乗るマーシア王のオファ(在位:757年 - 796年)により追放されフランク王国のカール大帝の所に身を寄せていたイネの兄弟インゲルドの末裔と称していた。エグバードの登場によりウェセックス王位の継承過程が変わり、今までのチェルディッチの末裔と名乗る複数の王族から一人が王位に登る形式が終わり、代わって単独の王家からの継承へと変化した。825年にマーシア王国のベオルンウルフをエランダンの戦い(英語版)(en:Ellandun)で撃破、サセックス、ケント、エセックスの支配権をマーシア王国から奪うと同時にイースト・アングリアをマーシア王国の支配から離脱、独立を支援した。829年にエグバードはマーシア王国を征圧、王ウィイラフ(en:Wiglaf of Mercia)を追放させ、ノーサンブリア王国も支配権を確立させる。そしてエグバートはブレトワルダとなりブリテン島の諸王の王として君臨した。この君臨の時期は短く、830年にウィイラフは帰還しマーシア王国は再び独立してしまうが、南西イングランドに拡大したウェセックス王国の領土は侵食される事はなかった。
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