ウサーマ・ビン・ラーディンの死後
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「アイマン・ザワーヒリー」の記事における「ウサーマ・ビン・ラーディンの死後」の解説
2011年5月2日、パキスタンのアボッターバードでアルカーイダの司令官(アミール)であるウサーマ・ビン・ラーディンが米海軍特殊部隊によって殺害された。アルカーイダの内部規則では司令官が死亡した場合は、その副官が後継の司令官になることが定められており、ザワーヒリーが司令官に任命される可能性が高いとみられていたが、2011年6月16日、新たな指導者として選出された。 司令官には忠誠の誓いをしなければならず、エジプト人であるザワーヒリーに対してサウジやイエメン出身のアルカーイダ幹部の反発も予想される。ビン・ラーディンがカリスマ性から多くのメンバーを集め、アルカーイダの組織作りを担ってきたのに対して、ザワーヒリーは知識人気取りと傲慢な態度で他のメンバーから疎まれてきた。また、他のメンバーの些細な信仰上の違いに執着し、エジプトでのジハードを優先しようとするなど、ビン・ラーディンと違ってアルカーイダ内部で常に評価が分かれていたとされる。また、医師という職業柄か、冷酷ではあっても残虐な行為は好まず、ISISを嫌悪していると言う。 2013年エジプトクーデターにおいて、エジプトでサラフィー主義団体指導者を務めていた弟のムハンマド・ザワーヒリーが、シナイ半島での治安部隊への銃撃に関わったとされギーザで逮捕された。 アメリカ同時多発テロ事件から20年を迎えた2021年9月にはアルカーイダがザワ―ヒリーの映像をインターネット上に公開し、その中でザワ―ヒリーはアメリカのアフガニスタンからの撤退にも言及していた。
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