ウェッジの発見と論争の発端
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 08:16 UTC 版)
「ウェッジ (デラウェア州)」の記事における「ウェッジの発見と論争の発端」の解説
この合意がなされたとき、最終的な形が実際にはどうなるのか誰も知らなかった。12マイル円とタンジェントラインとの接点、およびタンジェントラインの測量が困難なため、天文学者のチャールズ・メイソン(英語版)と測量士のジェレマイア・ディクソンが雇われた。この複雑な境界線はメイソン=ディクソン線として知られるようになった。また、北緯39度43分線・12マイル円・ノースラインの間に小さな楔形の土地があることがわかり、「ウェッジ」と呼ばれるようになった。ウェッジの幅はおよそ3⁄4マイル (1.2 km)、長さはおよそ3マイル (4.8 km)である。メリーランド植民地は、ウェッジがメイソン=ディクソン線よりも東側にあるので、その領有を主張していなかった。ペンはペンシルベニアとデラウェアの両方を所有していたので、それらが別々の州になるまで、ウェッジがどちらに属するかを決定する必要はなかった。 ペンシルベニアは、ウェッジが12マイル円の外側で、メイソン=ディクソン線のメリーランド側を過ぎており、メリーランド・デラウェアのどちらの一部でもないとして、ウェッジの領有を主張した。 デラウェアは、ペンシルベニアの領土がメリーランドの北部境界(本来は北緯40度線でデラウェア川まで)より南に入ることは意図していないとして、ウェッジの領有を主張した。ノースラインは論理的にはタンジェントラインの延長であり、従ってメリーランド州とデラウェア州の境界はノースラインとなるとしている。ウェッジは12マイル円の外側にあるが、妥協の結果境界線となった北緯39度43分線の南にあり、それはペンシルベニアの一部ではないはずだと主張した。 メイソンとディクソンは、実際にデラウェア川でメリーランドとペンシルバニアの境界を調査し始め、北緯39度43分線と川との交差地点を決定した。この地点は12マイル円の内側にあるが、ペンシルベニア州の西側の境界はその地点よりも経度で5度西側であり、メイソンとディクソンはメリーランド州のペンシルベニア州の西側の境界を測ることになっていた。
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