ウィーン進出へ
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「交響曲第3番 (マーラー)」の記事における「ウィーン進出へ」の解説
このような多忙さもあって、マーラーはウィーンへの進出を図るようになる。1895年から翌1896年の7月、マーラーはバート・イシュルで避暑中のブラームスを訪れ、その知遇を得ようとした。当時のウィーンの楽壇を二分する音楽勢力としてはワーグナー派に属するマーラーであったが、ブラームスからは道徳的立場からの支援をとりつけることに成功した。この交響曲の第1楽章冒頭で、8本のホルン斉奏によって呈示される主題は、ブラームスの交響曲第1番の有名なフィナーレ主題や『大学祝典序曲』との関連が指摘されており、あるいはブラームスへの讃辞などなんらかの意図が含まれていることも考えられるが、真相は不明である。 マーラーの前に立ちはだかったのは、ブラームスではなく、すでに故人となっていたワーグナーであった。ワーグナーが唱えた反ユダヤ主義が、ユダヤ人音楽家であるマーラーのウィーン進出の障害となったのである。マーラーは、ハンブルク歌劇場で親交のあったソプラノ歌手アンナ・フォン・ミルデンブルク(1872 - 1947)の説得もあり、1897年2月23日にユダヤ教からローマ・カトリックへと改宗し、同年5月11日、念願のウィーン宮廷歌劇場の音楽監督の座に就く。
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