ウィーン歌劇場辞任
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1907年7月12日、ヴェルター湖畔マイアーニック(Maiernigg)での夏の休暇中、マーラーの長女マリア・アンナが亡くなり、マーラー自身にも心臓病の診断が下される。これに先立つ6月に、マーラーはニューヨーク・メトロポリタン歌劇場と契約を交わしており、ウィーン宮廷歌劇場辞任の意志を固めていた。 8月、ウィーン宮廷歌劇場のマーラーの後任としてフェリックス・ワインガルトナーが指名される。 10月15日、宮廷歌劇場の告別演奏会。演目はベートーヴェンの『フィデリオ』。同月の後半、サンクトペテルブルクとヘルシンキに演奏旅行。サンクトペテルブルクの演奏会にはストラヴィンスキーが出席、ヘルシンキではシベリウスと会っている。 11月24日、楽友協会大ホールで自作交響曲第2番を指揮。ウィーン最後の演奏会となる。 12月9日、妻アルマとともに渡米。アルノルト・シェーンベルクやグスタフ・クリムトらに見送られる。
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