インド=西洋シンセ・ポップの融合期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 09:33 UTC 版)
「シーラ・チャンドラ」の記事における「インド=西洋シンセ・ポップの融合期」の解説
シーラ・チャンドラが最初に世間から注目されたのは女優としてだった。BBCの学園ドラマ『Grange Hill』で、Sudhamani Patelの役を演じていた。 10代でバンド「モンスーン」を結成。西洋(シンセ・ポップ)とインドのポップスのスタイルを融合させた。スティーヴ・コーと結婚。彼はバンドのプロデューサーになった。さらにマーティン・スミスを加えて、バンドは才能あるトリオに進化した。 1982年、バンドの唯一のアルバム『サード・アイ』を発表。その中からシングル・リリースした『エヴァー・ソー・ロンリー』が予想外のヒットとなった。アルバムには、ビートルズの「トゥモロー・ネバー・ノウズ」のカヴァーも収録されていて、ビル・ネルソンのEBowギター(電気弓ギター)がフィーチャーされている。 しかし、バンドの音楽的方向性に対するレコード会社の圧力で、モンスーンは解散。コーとスミスは、チャンドラをソロのアーティストとしてインディペンデント・レーベルから売り出すことにした。 1980年代、チャンドラは何枚かのアルバムを出した。同時に、チャンドラは自分の声が楽器としてどの程度使えるかの実験を続けた。1990年になって、ピーター・ガブリエルのリアル・ワールド・レコードから3枚のアルバムを発表。だが、マーティン・スミスは離れていった。
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