インテリジェント端末という概念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/14 12:29 UTC 版)
「Sol-20」の記事における「インテリジェント端末という概念」の解説
1975年後半にVDM-1が発売されるまでは、Altairでプログラムを行うには、本体のフロントパネルのスイッチを操作しLEDランプで結果を確認するか、シリアルカードを購入して何らかの端末を接続するしかなかった。よく使われていたのはASR-33で、このときでもまだ1,500ドルもするものだった。ASR-33の発売元のテレタイプ社は大規模な商業顧客にのみ販売していたため、ホビイストがテレタイプ社から直接購入することは通常できなかった。そのため、故障したものを修理してホビイスト向けに販売する市場が盛んになっていた。Altairを開発したエド・ロバーツは、Altairの顧客向けに、改造版のASR-33sを供給する取引をテレタイプ社と行なった。 『ポピュラーエレクトロニクス』誌でAltairを紹介した編集者のレス・ソロモンは、急速に拡大するマイクロコンピュータ市場において、低価格のスマート端末が非常に望まれていると感じていた。1975年12月、ソロモンはフェニックスのドン・ランカスターのもとを訪問し、彼が設計したTVタイプライターをコンピュータ端末のビデオディスプレイとして使用することについて相談した。ランカスターが興味を示したので、ソロモンは彼をアルバカーキに連れて行き、ロバーツに会わせた。ランカスターはAltairの設計を批判し、拡張カードにより良く対応するための提案をしたが、ロバーツはこれを平然と拒否し、2人は激しい口論となった。結局、この2人の提携はできなかった。 ソロモンはその後カリフォルニアを訪れ、マーシュにも同じアイデアを持ちかけた。ソロモンは、30日以内に設計を完成させることができれば、それを雑誌の表紙に載せると提案した。マーシュはシステムの設計を再びフェルゼンスタインに依頼した。後にフェルゼンスタインは次のように述べている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}Solの誕生に至る過程で、レスリー・ソロモンはオスの役割を演じた。誰が誰に勧誘したのか、私には未だにわからない。
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