インスティテュート、デリー・シティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 04:00 UTC 版)
「ジェームズ・マクレーン」の記事における「インスティテュート、デリー・シティ」の解説
北アイルランドのロンドンデリークレガンで生まれ、アイルランドとの国境付近やカトリックの家だったこともあり、熱狂的なセルティックFCファンの家庭で育つ。地元のトロジャンズFCでサッカーを始め、それから数年後にインスティテュートFCの下部組織に加入し、2007年に同クラブのトップチームからグレントランFC戦で初出場を飾った。 その後、インスティテュートのクラブ事情からデリー・シティFCへのトライアル参加を許可され、スティーブン・ケニー(英語版)監督に感銘を与えて、見事デリー・シティとの契約を勝ち取ると、2008年7月1日のリーグ・オブ・アイルランドカップ戦で初出場にして初得点を挙げる活躍を見せ、9月のコーク・シティFC戦でリーグ戦初出場を飾った。加入初年度はパトリック・マッコートとナイアル・マッギンの存在から出場機会を制限され、リザーブチームでのプレーが主戦場だったが、翌年は、マッコートの移籍に伴って定位置を確保した。シーズン終了後、クラブが財政難による所属選手への給料未払いだったことでリーグを追放されており、その為、自由契約選手となったマクレーンに対し、リンカーン・シティFCやイングランドの2クラブからオファーがあったものの、デリー・シティがファーストディビジョン (2部) での活動ライセンスが付与される可能性が高まったことで、2009年12月10日に再契約した。そして、2010年シーズンは、ストライカーのマーク・ファレン(英語版)と攻撃を牽引して30試合10得点を挙げ、移籍したマッギンの穴を埋めるプレーを見せると、翌2011年シーズンは負傷で出場が制限されていたにもかかわらず、7得点10アシストの数字を残しており、その活躍にアイルランドプロサッカー選手協会によるリーグの年間最優秀若手選手賞にノミネートされた。
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