イチゴ栽培
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 22:14 UTC 版)
迫子では1971年(昭和46年)より5人の農家が「迫子イチゴ組合」を結成し、イチゴ栽培を始めた。まず、志摩郡阿児町国府のイチゴ栽培の様子を視察、5棟(2反≒20a)のハウスを建て共同栽培をすることにしたが、イチゴの苗が1反分しか確保できなかったため、もう1反はトマトを栽培することになった。翌1972年(昭和47年)には、早くも各人で1反分のハウスを構えて栽培を開始する。当初稲作を主とし、副業として始まったイチゴ栽培だったが、イチゴの収益が年間230〜240万円となり、1978年(昭和53年)には12戸で170aまで拡大した。 更に1980年(昭和55年)には迫子イチゴ団地の造成が始まり、7棟のハウスが完成、始めた頃の2倍に相当する34tを収穫できるようになった。 平成に入ると、女峰が主要な栽培品種となったが、2000年(平成12年)頃よりイチゴの小玉化が顕著となり、三重県農業技術センター(現在の三重県農業研究所)から新品種の提供を受けることになった。
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