イザヤ書の預言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 04:19 UTC 版)
「久しく待ちにし主よとく来たりて」の記事における「イザヤ書の預言」の解説
この讃美歌の出だしの箇所「O Come, O Come, Emmanuel」(来(きた)れ、来れ、インマニュエル)とは、旧約聖書のイザヤ書第7章14節にある預言である。 見よ、おとめがみごもって男の子を産み、その名はインマヌエルと呼ぶ。 —イザヤ書 第7章14節、536頁 インマヌエル(インマニュエル)とは、「主は我らと共にあり」の意味で、メシアであるイエス・キリストの呼び名の一つである。マタイによる福音書にもこういう記述がある。 見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、神は我々と共におられるという意味である。 —マタイによる福音書 第1章23節 イザヤ書にはこういう記述もある。 闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。(中略)ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業(わざ)によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の王の熱意がこれを成し遂げる。 —イザヤ書第9章1節、5-6節 また、受胎告知をテーマにした美術作品で、告知の天使ガブリエルが現れた際に、マリアが読書をしている作品が多いが、この時マリアが読んでいるのは旧約聖書で、イザヤの預言の成就を暗示しているといわれる。 古代イスラエルの民は、バビロン捕囚の苦しみを味わい、それゆえに、「救い主(メシア)」待望の信仰が生まれた。この讃美歌も暗さの中に光を求める讃美歌であり、救い主を強く期待する歌、救い主を待ち望む願望の歌でもある。また、原曲が中世の聖歌であるため,旋律も和声も、厳かな雰囲気を醸し出している。
※この「イザヤ書の預言」の解説は、「久しく待ちにし主よとく来たりて」の解説の一部です。
「イザヤ書の預言」を含む「久しく待ちにし主よとく来たりて」の記事については、「久しく待ちにし主よとく来たりて」の概要を参照ください。
- イザヤ書の預言のページへのリンク