イギリスのビルマ統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/24 20:33 UTC 版)
ビルマ(現在のミャンマー)は、1824年に始まった英緬戦争の結果、1886年にイギリス領インド帝国の一州に編入された。イギリスは治安維持の観点からビルマ軍を編成したが、ビルマ族の青年は征服者に協力することを潔しとしなかった。ビルマの人口は1941年の国勢調査によれば1,600万人、民族別ではモンゴル系といわれるビルマ族が1,100万人、カレン族150万人、シャン族130万人、移住したインド人200万人という構成であったが、同年のビルマ軍総数6,209名のうち、大部分はカレン族などの少数民族やインド出身のパンジャブ族が占め、ビルマ族の軍人は159名に過ぎなかった。 1935年ビルマ統治法が制定され、1937年その発効により、ビルマはインドから分離し、進歩穏健派のバー・モウを首班とする内閣と議会が設置された。しかしイギリス人総督の拒否権はほとんどビルマ統治全般に及び、自治権は完全には程遠く、ビルマは植民地と自治領との中間的状態に留め置かれた。議会における自治権拡大運動は、イギリスの行った小党分立政策のため勢力を持つには至らなかった。
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