アン女王の治世における与党期
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「チャールズ・スペンサー (第3代サンダーランド伯)」の記事における「アン女王の治世における与党期」の解説
同1706年にイングランドとスコットランド合同の交渉委員の1人に選ばれ合同条約を締結、同年に南部担当国務大臣に任命されスペイン継承戦争でマールバラ公爵を支え、ホイッグ党の中心人物になりジャントーの一員となった。このとき、後に南部担当国務大臣に任命されるジョゼフ・アディソンを政務次官に任命している。サンダーランドは1704年に王室監査官(英語版)への任命を拒否されており、1706年の大臣任命の裏にはサラとゴドルフィンの影響力があったという。 大臣としては軽率で短気と評され(『英国人名事典』)、1708年イギリス総選挙ではスコットランドにおける選挙への軽率な介入がマールバラ公爵とゴドルフィン伯爵の顰蹙を買い、サラから忠告されるほどだった。初代サマーズ男爵ジョン・サマーズの言葉のみは素直に聞き入れたが、サマーズ男爵もサンダーランドが「経験不足と押しの強さによりすべてを混乱状態に陥らせることに常に戦々恐々だった」という。
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