アンディ・カウフマンとの抗争
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「コンチネンタル・レスリング・アソシエーション」の記事における「アンディ・カウフマンとの抗争」の解説
CWAを全国的に知らしめたのは、コメディアンのアンディ・カウフマンとジェリー・ローラーの抗争であった。1980年代前半、アンディ・カウフマンは彼自身のショーにおいて、女性が自分と勝負して勝利したら1000ドルを与えるという形式のレスリングを行なっていた。彼はこれら自分のやっている試合は「本物」であり、プロレスは「本物」ではないと主張していた。 カウフマンはミッドサウス・コロシアムの興行にもやってきて、アンダーカードで女性とのレスリングを行ない、負けたら結婚するとまで宣言した。この行為に腹を立てたジェリー・ローラーとの抗争アングルは、地元のファンの大きなヒートを買うことができた。カウフマンはことあるごとに「ハリウッド出身」であることを強調した。ローラーは最終的に彼と対戦し、メンフィス地区で「禁止」されていた危険な技であるパイルドライバーを、一度ならず二度も与えた。カウフマンは首を負傷し、担架で運ばれた。一部の新聞には「コメディアンのカウフマンがプロレスで首を負傷した」という記事を掲載し、これが全国的に知れるところとなった。 1982年7月27日、カウフマンとローラーは、全国放送のデイヴィッド・レターマンの番組『レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』にゲスト出演した。カウフマンは5ヶ月前の試合からまだ傷が癒えていないことを示す首の包帯を付けていた。二人が口論になると、ローラーは起ち上がってカウフマンに平手打ちをして、カウフマンは椅子から転げ落ちた。カウフマンはローラーにコーヒーを投げつけ、罵詈雑言を浴びせてスタジオから去った。このローラーとカウフマンのやり取りで、NBCネットワークの幹部は慌てて、二人の抗争は本物だったと信じるに足りた。カウフマンとローラーのこの有名な抗争と試合はのちにワークで、二人は本当は友人であることが分かった。この真実は、カウフマンの死後10年以上たった1995年、NBCのドキュメンタリー『A Comedy Salute to Andy Kaufman』がエミー賞にノミネートされる時まで伏せられた。2002年のローラーの自伝によると、レターマンの番組での暴発は、コメディアンであるカウフマン自身のアイデアであった。 カウフマンとの抗争は1983年前半には終了し、その後ローラーは再びジミー・ハートと彼のファースト・ファミリーとの抗争に焦点を当てた。
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