アルプス時代、突然の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 17:02 UTC 版)
「ジョヴァンニ・セガンティーニ」の記事における「アルプス時代、突然の死」の解説
セガンティーニ一家は、ブリアンツァ地方で生活している間も、プジアーノからルガーノ、カーリオなどへ移住していた。しかしアルプスのさらなる高地に思いを馳せ、1886年にイタリアから国境を越えてスイスへ向かい、ベルニナ地方(en)のポスキアヴォ(en)やシルヴァプラーナ(en)を経由して、最終的にグラウビュンデン州のサヴォニン(en)に到着、セガンティーニ一家はしばらくの間ここで生活した。そこではアルプスの風景や肖像画などを製作して過ごした。また、妻ルイジアとの間には4人の子供をもうけた。 1894年に、セガンティーニ一家はサヴォニンを後にし、より標高の高いエンガディン地方(en)のマローヤ(Maloja)に移り住んだ。その地でセガンティーニは、『アルプスの春』などの作品を制作した。そして1898年から、エンガディンの風景が見渡せるシャーフベルク(en)にたびたび登り、大作『アルプス三部作』の制作に取り掛かった。 しかし、第1作『生』を完成させ、第2作『自然』が完成に近づいた頃、セガンティーニは突然病に襲われた。高熱がつづき、やがて腹膜炎の症状が現れだした。セガンティーニは『私は私の山が見たい』と言い残し、1899年9月28日、腹膜炎によって死去した。遺体はその2日後に共同墓地に埋葬された。三部作の第3作『死』は未完のまま残された。『アルプス三部作』は、スイス、オーバーエンガディン地方、サン・モリッツのセガンティーニ美術館が所蔵、展示されている。
※この「アルプス時代、突然の死」の解説は、「ジョヴァンニ・セガンティーニ」の解説の一部です。
「アルプス時代、突然の死」を含む「ジョヴァンニ・セガンティーニ」の記事については、「ジョヴァンニ・セガンティーニ」の概要を参照ください。
- アルプス時代、突然の死のページへのリンク