アルチュセールのフランス共産党の指導部への批判
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「民主集中制」の記事における「アルチュセールのフランス共産党の指導部への批判」の解説
1978年3月に行われたフランスの総選挙において、フランス社会党とフランス共産党を中心とする左翼連合は、得票率で与党を上回ったにもかかわらず敗北した。フランス共産党政治局は声明を発表し、敗北について「フランス共産党はいかなる責任も負っていない」と主張した。 これに対して党の知識人党員が抗議の声を挙げた。アルチュセールをはじめとする6名が『ル・モンド』に共同で書簡を発表し、その中で(1) 近く開かれる中央委員会総会の前に各地で党員集会を開き、党員の意見を中央委員会総会に反映させること、(2) 中央委員会総会における中央の報告と参加者の発言を公表すること、(3) 党の機関紙誌に討議欄を開設すること、(4) 次の第23回党大会は候補者選考委員会による選別を廃して代議員選挙を完全に民主的なやり方で組織すること、を要求した。 その後、アルチュセールは『ル・モンド』に論文を発表し、党の軍隊的な「縦割り構造」を批判した。 この問題についてはエルネスト・マンデルがコメントしており、アルチュセールに基本的に賛成しつつ、党内に「潮流」を形成する権利も要求すべきだ、としている。分派が禁止された1921年3月のソ連共産党第10回大会においても、レーニンは潮流を形成する権利については否定していないという。
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