アリゾナ (客船)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/23 06:03 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動SSアリゾナ | |
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基本情報 | |
運用者 | グイオン・ライン |
建造所 | ジョン・エルダー&カンパニー 第222番ドック |
経歴 | |
起工 | 1879年 |
進水 | 1879年3月10日月曜日 |
就航 | 1879年 |
その後 | 1926年5月解体 |
要目 | |
総トン数 | 5,147トン |
全長 | 450フィート(140m) |
全幅 | 45.4フィート(13.8m) |
機関方式 | スクリュー1軸 |
速力 | 15ノット |
アリゾナ(SS Arizona)は、グイオン・ラインの所有する客船である。
概要
アリゾナはジョン・エルダー・アンド・カンパニーによって建造され、1879年3月10日月曜日に進水した。初期はグイオン・ラインが所有し、処女航海の直後に行ったニュージャージー州サンディ・ホーク - クイーズ・タウン間の航海では、7日8時間11分で大西洋を横断するという記録を打ち立て、東回り航路のブルーリボン賞を受賞した。そしてこの記録を1882年まで保持し続けた。[1]
1879年11月7日、アリゾナはリヴァプールへと向かう航海の途中で氷山と衝突する事故を起こし、激しく損傷した。なんとか浮いていられたためセント・ジョンズに自力で辿り着き、修理を受けた。[2]修理後もリヴァプール - ニューヨーク間の定期船として使用され続け、1894年5月12日に最後の航海を終えたあと、スコットランドのアーガイル・アンド・ビュートで係留、保管された。
1884年、アリゾナはWm. G.Pearceによって改修を受け、工事は1894年に終了した。さらに1898年に更なる改修を受けたため、総トン数が5,305トンに増えた。アリゾナは短期間、太平洋でサンフランシスコ - 日本 - 中国間の定期船として使用され、同年、アメリカ合衆国旧陸軍省に引き取られた。その後は、アメリカ陸軍の輸送船として1898年から使用され、1902年にブルックリン海軍工廠で改装を受け、輸送船ハンコック(USS Hancock)として北大西洋で1918年まで運航された。その後はフィラデルフィア海軍造船所で改装を受けたものの、結局1926年5月にスクラップとなった。
脚注
- Ships Monthly (June 1985), Govan Shipyard, Ian Johnston
- Shipping Times
関連項目
外部リンク
記録 | ||
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先代: ブリタニック |
ブルーリボン賞 (船舶)(東回り航路)保持船舶 1879年〜1882年 |
次代: アラスカ |
「アリゾナ (客船)」の例文・使い方・用例・文例
- アリゾナ不動産免状
- アリゾナの夏が暑かったのを、私は思い出しました。
- 私はまたアリゾナに行きたいです。
- 私はアリゾナであなた方と過ごしたことを忘れません。
- 私は日本人にアリゾナの魅力を伝えたい。
- 日本人にアリゾナの魅力を伝えたい。
- 私は明後日からアリゾナへ行きます。
- 彼はアリゾナから来ました。
- 彼はアリゾナで何本か西部劇を撮っている。
- フェニックスはアリゾナの州都である。
- その政治家はアリゾナ州の出身だ。
- 私たちはアリゾナ西部に移った
- メキシコ人が住みついたテキサスの土地に関する論争が高じて、1846年に米国はメキシコに宣戦布告をし、1848年の条約で、米国がテキサス、カリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコ、ネバダ、ユタ、およびコロラドの一部を取得し、メキシコに1500万ドルを支払った
- 南テキサスとアリゾナと同じくらいはるか北で見つかる熱帯アメリカのヒタキ
- 目立つ縦の縞がある:アリゾナからコロラドへ続くコロラド高原の
- アリゾナ州南部からボリビアにかけて見つかる細長い樹上性のヘビ
- 彼女の夫はアリゾナの牧場で働いている
- アリゾナ州のコロラド川の傍に1964年に建設された大きなダム
- アリゾナ州およびカリフォルニア州、メキシコで使われたホカ語族
- アルカイダ潜在スパイの組織はベースとしてアリゾナを使用したかもしれない
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