アマルナ様式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/13 00:06 UTC 版)
新王国第18王朝のファラオ、アメンホテプ4世は伝統の多神教アメン信仰を廃して一神教のアテン神を立てるという宗教改革を断行した。これをアマルナ宗教改革と呼ぶ。 その信仰の証として自らアクエンアテン(「アテンに愛される者」の意、イクナートン)と名乗り、自身の姿を奇形に描かせるなど芸術上でも変化を誘導した。この流れに沿った様式はアマルナ様式と呼ばれ、人物の柔弱さ、人間的な叙情性、細かな装飾性が特徴である。 ツタンカーメンはアクエンアテンの後継だったため、彼がアテン信仰からアメン信仰に戻したファラオだったにも関わらず王家の谷にある墓からはアマルナ様式のものが多く出土。同王の墓から出土の黄金の玉座はアマルナ様式をよく表し、王と妃を表した人物の体格は家庭的な柔らかさがある。 アマルナ改革は急進的すぎたせいもあり神官達の猛反発を受けて結局挫折し、新しい様式もエジプトの伝統と乖離しすぎていたため一時限りのものに終わった。
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