アナドル要塞とルメリ要塞とは? わかりやすく解説

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アナドル要塞とルメリ要塞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 14:37 UTC 版)

コンスタンティノープルの城壁」の記事における「アナドル要塞とルメリ要塞」の解説

ボスポラス海峡が最も狭くなるコンスタンティノープル北側地域に、アナドル・ヒサルルメリ・ヒサルという一対要塞がある。これらはコンスタンティノープル征服向けてオスマン帝国戦略的に極めて重要な北側海域コントロール下に置くために建設したのであるアナドル・ヒサル(トルコ語: Anadoluhisarıアナトリア要塞」の意)は、かつてはアクチェヒサル(Akçehisar)やギュゼルジェヒサル(Güzelcehisar、「美し要塞」の意)とも呼ばれたもので、1394年バヤズィト1世によって建設された。高さは25メートルおおよそ五角形見張り塔で、城壁囲まれていた。 ルメリヒサル(Rumelihisarı、「ルメリア要塞」の意)はさらに大規模手の込んだ塔である。1452年メフメト2世最後包囲戦向けて4か月以上をかけて建設した3つの大塔1つの小塔、さらに城壁接続され13小さな見張り塔構成されている。主要な塔には大砲設置され当初のボアズケセン(Boğazkesen、「海峡切断者」の意)という名にふさわしくボスポラス海峡通行を完全に支配することができた。オスマン帝国コンスタンティノープル征服して以降は、ルメリ・ヒサル検問所牢獄として用いられ帝国戦争中国家大使館としても使われた。1509年地震大きな被害被った修復され19世紀後半まで使用され続けた

※この「アナドル要塞とルメリ要塞」の解説は、「コンスタンティノープルの城壁」の解説の一部です。
「アナドル要塞とルメリ要塞」を含む「コンスタンティノープルの城壁」の記事については、「コンスタンティノープルの城壁」の概要を参照ください。

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