アスクルムの戦い(紀元前279年)
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「ピュロス戦争」の記事における「アスクルムの戦い(紀元前279年)」の解説
詳細は「アスクルムの戦い (紀元前279年)」を参照 カッシウス・ディオは次のように書いている。冬の間、両軍共に次の戦闘の準備を行っていた。ピュロスはアプリアに侵攻した。多くの都市が占領され、また降伏した。ローマ軍はアスクルム(現在のアスコリ・サトリアーノ)まで進出し、ピュロスに対抗して野営した。その後数日間、両軍とも戦端を開かなかった。この間に、執政官プブリウス・デキウス・ムスが、彼の祖父や父と同様に、自身を「生贄」として犠牲となろうとしている(デヴォティオ)との噂が流れた。ローマ軍司令官がデヴォティオを行えば、神がローマ軍に勝利を与えてくれると信じられていた。この噂はローマ兵に勇気を与えた。逆にピュロス軍のイタリック人兵士は、プブリウス・デキウスの死により、彼らの敗北が待っていると不安が広がった。ピュロスは彼らを鎮めるために、デキウスがデヴォティオに用いた服を着ているものを見つけたら、生きて捕らえるように命じた。ピュロスはプブリウス・デキウスに伝令を送り、彼の思うような成功は得られず、生きたまま虜囚となって辱めを受けるだろうと伝えさせた。これを聞いたデキウスは、神の加護無しでもローマ軍は勝利するであろうからデヴォティオの必要は無いと返答した。 この戦闘に関するハリカルナッソスのディオニュシオス、プルタルコス、カッシウス・ディオの記述はやや異なっている。プルタルコスは戦闘は2日間続いたと言い、他の二人は1日で終わったとしている。カッシウス・ディオはローマが勝利したとしている。プルタルコスはピュロスが勝利したと述べている。プルタルコスは、ハリカルナッソスのディオニュシオスが「2つの戦闘にもローマの敗北にも触れていない」と記している。実際に、ディオニュシオスはどちらが勝利したかを述べていない。プルタルコスはまた、ピュロスが彼の勝利を讃えた側近に対して「もう一度ローマ軍に勝利したら、我々は壊滅するだろう」と言ったと書いている。これは彼がイタリアに連れてきた多くの兵、ほとんどの将軍たちを失ったからである。彼は増援軍をギリシア本土から呼ぶことはできず、またイタリアの同盟国も、熱心さを失っていた。対してローマは、まるで噴水のように直ちに軍を再編し、敗北にも関わらず勇気も決意も失わなかった。
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