他の事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 19:06 UTC 版)
アラム人のダマスコの王ベン・ハダド1世(英語版)がイスラエル王アハブを攻めたとき、彼は次のような通牒を送った。「もしサマリアに残る塵が、私と行を共にする全ての民の手のひらを満たせるならば、神々よ幾重にも私を罰したまえ」。アハブは答えた。「鎧を着る者は鎧を脱ぐ者のごとく誇るべきではない」。 紀元前336年、ピリッポス2世の死がアテナイに伝わったとき、将軍ポキオンは「我々をカイロネイアで打ち負かした軍勢が一人減ったにすぎないのだ」として全ての祝いの贄をやめさせた。 アスクルムの戦いでローマ人を破った犠牲の大きさに、ピュロスは祝いの言葉に対して「もう一度戦ってローマ軍に勝ったとしても、我々は全く壊滅するだろう」と言った(ピュロスの勝利)。 第2次大戦のバストーニュの戦いのさなか、ドイツの将軍ハインリッヒ・フォン・リュトヴィッツ(英語版)はアメリカの司令官アンソニー・マコーリフ准将に「従わない限り貴軍は壊滅する」として降伏を勧告した。マコーリフの答えは「NUTS!(馬鹿め!)」の一言だった。
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