アイアン・メイデンとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 15:25 UTC 版)
「サムソン (バンド)」の記事における「アイアン・メイデンとの関係」の解説
1978年、デイヴ・マーレイがポール・サムソンにアイアン・メイデン加入の話を持ちかけているが、ファースト・シングル「Telephone」が発売直前であることを理由に断っている。 サムソン結成当初のメンバーだったクライヴ・バーは、1979年にアイアン・メイデンへ加入する。クライヴ・バーの後任として加入したサンダースティックは1977年にアイアン・メイデンに在籍しており、その時に書かれていた曲「The Ides of March」を「Thunderburst」というタイトルで1980年の『魔人襲来』に収録。「The Ides of March」はその後、アイアン・メイデンのセカンド・アルバム『キラーズ』(1982年)に収録される。 ブルース・ディッキンソン在籍時のサムソンがデビュー前のアイアン・メイデンを前座に迎えツアーを回った際、ブルースはポール・ディアノにボーカル・テクニックのアドバイスを求められたことがある。また、ブルース在籍最後のアルバム『魔界戦士』とアイアン・メイデンの『キラーズ』はロンドンのバッテリー・スタジオにおいて同時期にレコーディングが行われており、互いのメンバーが顔を合わせる機会も多かった。 1981年のレディング・フェスティバルにおけるサムソンのパフォーマンスを見たA&MレコードとRCAレコードからそれぞれ250万ポンドの契約が持ち掛けられたが、同フェスティバルを見に来ていたスティーヴ・ハリスとマネージャーのロッド・スモールウッドによりバンドからブルースが引き抜かれると、両レコード会社との契約交渉は破談となる。 1986年、Paul Samson's Empire名義でアイアン・メイデンの「Somewhere on Tour」全英公演のオープニングを務めている。 1999年、日本で開催された「Metal Crusade '99」(NWOBHM20周年記念フェスティバル)は、当時アイアン・メイデンを脱退していたブルースも参加する計画が進められていたが、ブルースのアイアン・メイデン復帰が決まると、ブルースの同フェスティバル参加の話は立ち消えとなった。
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