履中天皇
皇后には黒媛(父は羽田八代宿禰又は葦田宿禰だが、よくわからない)を迎え、子には磐坂市辺押磐皇子がいる。
住吉仲皇子との争いがあったが、事績として記すべきものはない。
ただ、この頃には平群・蘇我・物部の名が出てくることに注目したい。
都は磐余稚桜宮。
磐坂市辺押磐皇子は皇太子とならず、多遅比瑞歯別尊を皇太子とした。
第17代天皇 | |
天皇名 | 履中天皇 |
読み方 | りちゅうてんのう |
名・諱等 | 大兄去来穂別尊 |
読み方 | おおえのいざほわけのみこと |
時代区分 | 古代 |
天皇在位 | 400?年から405?年 |
生年 | 生年不詳 |
没年 | 没年不詳 |
父 | 仁徳天皇 |
母 | 磐之媛命 |
兄弟 | 多遅比瑞歯別尊・雄朝津間稚子宿禰尊 |
配偶者 | 黒媛 |
皇子女 | 多遅比瑞歯別尊 |
即位宮 | 磐余稚桜宮 |
天皇陵 | 百舌鳥耳原南陵 |
所在地 | 大阪府堺市石津ヶ丘 |
履中天皇 百舌鳥耳原南陵
(りちゅうてんのう もずのみみはらのみなみのみささぎ)
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