文徳天皇
842年の嵯峨上皇没後の承和の変によって、恒貞親王に代わって立太子。
850年仁明天皇没後に即位した。
文徳天皇は皇太子に第一皇子の惟喬親王を望んでいたというが、藤原良房の意向によって藤原明子の生んだ第四皇子惟仁親王(後の清和天皇)を皇太子に立てた。
文徳天皇は在位九年三十二歳の若さで没し、866年の応天門の変後に太政大臣藤原良房が事実上の摂政となった。
初の人臣摂政といわれている。
第55代天皇 | |
天皇名 | 文徳天皇 |
読み方 | もんとくてんのう |
名・諱等 | 道康親王 |
読み方 | みちやすしんのう |
時代区分 | 古代 |
天皇在位 | 850年から858年 |
生年 | 827 |
没年 | 858 |
父 | 仁明天皇 |
母 | 藤原順子 |
兄弟 | 時康親王・宗康親王 |
配偶者 | 藤原明子・紀静子 |
皇子女 | 惟仁親王・惟喬親王 |
即位宮 | 平安京 |
天皇陵 | 田邑陵 |
所在地 | 京都市右京区太秦三尾町 |
文徳天皇 田邑陵
(もんとくてんのう たむらのみささぎ)
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