ばら剪ってすでに短命にはあらず
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
夏 |
出 典 |
日の鷹 |
前 書 |
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評 言 |
<ばら切ってわれの死場所ベッド見ゆる>(『冬の匙』所収)の「死場所はベッド」とする断定のいさぎよさは、取りもなおさず明日へ生きることへの願望もあるだろう。そこには病みがちな身のおののきと、生きてある日常にたいして、なにか和解出来ないもどかしさが滲んでいる。そんな不安定な心情で、切実に生を問いつづけるのは、まるで密室のなかの息ぐるしさに似ていないか。そうまで生命の根源への問いかけは、生きるはざまをますます窮屈にし、自身を追い込んでいるようにも思えるが―。 それに比べると、掲句の「短命にはあらず」は、言い切りの強さこそ変わらないものの、健康回復の自信と仕事をもった緊張もあってか、その後の歳月の充実ぶりをうかがわせるのに十分の精神的なゆとりが感じられる。直截的な死への表現が減った分、モチーフの幅が広がり、研ぎ澄まされた心象が、作品の多彩さ、表情のゆたかさを生みだしたようだ。 さらに、ばらを剪定する行為は、次の季節への希望とか願いといった、本来もとめて当然の感情の芽生えであろう。あるいは、意識しない無心の欲求かもしれない。が、くつろいだ素顔もみえて、親近感ある表現となっている。それはまた、鋏に託したいのちと対等の感覚表現に思えるし、内心の波動のおさまりをじっくりと確かめているようでもある。 それとも不安を伴いつつ、自然な呼吸のなかで空気に逆らわないこころの場所を探りあてた所為でもあろうか。 |
評 者 |
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備 考 |
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