なぜ素因数分解の一意性は、それほど自明ではないのか?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 00:56 UTC 版)
「算術の基本定理」の記事における「なぜ素因数分解の一意性は、それほど自明ではないのか?」の解説
素数は整数論の世界の原子のようなものだから、整数を素数の因子に分解すれば必ず同じ「原子」が検出されるのは、ほとんど自明なことのように思える。原子とは、分割不可能な要素だと定義されている。もし、整数の分解が2通りのやり方でできたとしたら、分解できないはずの原子を分割したことになってしまわないだろうか?しかし、ここで化学とのアナロジーですべて考えるのは、誤解のもとだ。 素因数分解の一意性がそんなに自明でないことを理解するために、ここで次のような整数の部分集合を考えてみよう。 1, 5, 9, 13, 17, 21, 25, 29, … 等々、これは、4の倍数に1を加えた形になる正の整数の全体である。こうした数同士を掛けても同じ性質が保たれるので、このタイプの数を同じタイプより小さな数を掛け合わせて合成することができる。((4m + 1)(4n + 1) = 4(4mn + m + n) + 1 だから 4n + 1 の形をした整数全体の集合は積という演算で閉じている。)そこで、ふつうの整数の世界で素数を考えたのと同様のやり方で、「擬素数」というものを定義しよう。擬素数とはこのタイプ数であって、同じタイプのより小さな数の積としては表せない数のことである。たとえば、9は擬素数である。上のリストを見てわかるように、9より小さな同じタイプの数は1と5であり、9はこれらの積では表せないからだ(もちろん 3 × 3 = 9 ではあるが3はリスト外の数である)。 このタイプの数も、必ず擬素数の積の形で表すことができるのは明らかである。しかし、これら擬素数がこの集合の「原子」に相当するにもかかわらず、ここでは少し奇妙なことが生じる。たとえば693は、693 = 9 × 77 = 21 × 33 と2つの異なる方法で分解できてしまう。ここで現れる4つの因数9, 21, 33および77は、すべてここでいう擬素数である。素因数分解の一意性は、このタイプの数の体系に関しては成立しないのである。
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