武田晴信(たけだ はるのぶ) 1521~1573
◇父:武田信虎 室:上杉朝興女、三条公頼女、諏訪頼重女、油川信友女、根津元直女 子:武田義信、海野信親、西保信之、武田勝頼、仁科盛信、葛山六郎信貞、安田三郎信清
不和であった父を駿河に追放して甲斐・武田氏19代当主となる。信玄の名が有名。苦戦しながらも信濃諸豪族を攻略していくが、これを援ける越後・上杉謙信とは川中島にて5度戦い、容易に決着は付かなかった。又、内政面でも手腕を発揮し、分国法「甲州法度之次第」制定、信玄堤を築く等の実績を残す。相模・北条氏、駿河・今川氏とは三国同盟を結んでいたが、今川氏斜陽をみてこれを破棄、駿河に侵攻した。しかし、今川氏室を持つ嫡子義信がこれに反発、謀反を企てたことから幽閉して死なせている。駿河制圧後は京にも目を向けて、やがて大軍を率い西上の途につく。尾張・織田、三河・徳川連合軍を三方ヶ原に撃破する等順調に見えたが、その後発病、信濃まで引き返して53歳で没す。
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