その後の版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/20 07:41 UTC 版)
「チェンバーズ百科事典」の記事における「その後の版」の解説
1888年から1892年にかけて、全く新しい版がデビッド・パトリック(英語版)の編集により全10巻で出版された。この版では、記事の大部分が書き直された。アメリカに関する記事は主にアメリカ人が執筆し、フィラデルフィアのJ・B・リッピンコット社が現地で出版したので、リッピンコット社とチェンバーズ社はそれぞれの国で関連する著作権を主張することができた。この第2版では、初版に比べて図版は約800点減ったが、表や折り畳み式の地図など、その他の資料は増やされた。 その後、1890年代、1901年、1908年、1920年代、1935年にも新しい版が発行されている。1935年の版は、特別版の"British Universities Encyclopedia"としても発行された。いずれの版も全10巻の形式を維持している。パトリックは、1901年と1908年の版で序文を書き、1920年代と1935年の版では、既に1914年に亡くなっているにもかかわらず、編集長として記載されている。この2つの版は、実際にはウィリアム・ゲディー(1877-1967)が編集している。 アメリカでは1880年に"Library of Universal Knowledge"として出版された。これが『新国際百科事典』(New International Encyclopedia)シリーズの始まりとなった。
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