その後の準州創設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 17:36 UTC 版)
ネブラスカ準州の創設のとき、その領域はグレートプレーンズの北部大半、ミズーリ川盆地上流の大半およびロッキー山脈北部の東側まで拡がっていた。1860年代に新しい準州が創られて、ネブラスカ準州は徐々にその大きさが小さくなっていった。 1861年2月28日に、北緯41度線の南、西経102度3分(ワシントンD.C.の25度西)より西にコロラド準州が創られた(現在のフォートコリンズ、グリーリーおよびベースライン道路より北のボルダーの部分が含まれた)。 1861年3月2日、ダコタ準州が創設された。それまでのネブラスカ準州領域から、北緯43度線(現在のサウスダコタ州とネブラスカ州の州境)より北の領域を全て取り、さらに北緯43度線とケヤパハ川とニオブララ川の間の現在はネブラスカ州の領域も取った(この土地は1882年にネブラスカ州に返された)。ダコタ準州を創設する法律では、ネブラスカに現在はワイオミング州南西部となっている、北緯41度線と43度線および西経110度3分(ワシントンD.C.の33度西)と大陸分水界で囲まれるユタ準州とワシントン準州の小さな領域を含める条項もあった。これらの領域はルイジアナ買収の一部ではなく、オレゴン・カントリーの一部であり、1846年にアメリカ合衆国の領土になっていた。 1863年3月3日、アイダホ準州が西経104度3分(ワシントンD.C.の27度西)から西の領域を全て取った。
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