その後の渤海人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/23 16:00 UTC 版)
1125年、金は遼(契丹)を滅ぼした。 金では渤海人貴族は引き続き貴族として扱われ、大臣や皇后を輩出している。また歴代渤海人王朝の中心地だった遼陽では、渤海人による仏教信仰が継続していた。金の第4代皇帝海陵王の母・大氏は渤海王家の末裔、第5代皇帝世宗の母・李氏は渤海貴族の末裔であり、他にも宗室完顔氏とつながりのある渤海人が存在し、密接な関係を有していた。
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