その他のサーキット設計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 15:25 UTC 版)
「ジョン・フーゲンホルツ」の記事における「その他のサーキット設計」の解説
1961年に鈴鹿サーキットを手掛けた後、フーゲンホルツはベルギーのゾルダー・サーキット(1963年完成)、スペインのハラマ・サーキット(1970年完成)といった新設サーキットの設計を手掛け、この2サーキットも後にそれぞれF1のベルギーグランプリ、スペイングランプリを開催している。 .mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} ホッケンハイムリンクの1966年改修前後のコースレイアウト比較。この際、レイアウトだけでなく周回方向も変更されている。 新設サーキット以外では、1960年代半ばにホッケンハイムリンクの改修(コース短縮と周回方向の反転)を担当し、フーゲンホルツは新たなメインストレートを含むスタジアムセクションの設計を手掛けた。ホッケンハイムリンクでは、このレイアウトになってから自動車レースが盛んに開催されるようになり、1967年に始まったヨーロッパF2選手権や、F1のドイツグランプリの開催サーキットとして定着することとなる。このレイアウトは、その後シケインの追加などはあったが、2002年にヘルマン・ティルケの設計による改修(コース短縮)を受けるまで使用された。ティルケによる改修で旧来のフォレストゾーンは大幅に削られたが、フーゲンホルツが設計したスタジアムセクションはそのまま残され、2022年現在も使用されている。 なお、「ザントフォールト・サーキットの設計者」とされることがしばしばあるが、これは誤りで、1948年に完成した同サーキットはイギリス人のサミー・デイヴィス(英語版)の助言に基づいて設計されたと言われている。
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