せいあくせつとは? わかりやすく解説

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性悪説

読み方:せいあくせつ

「性悪説」とは、「人間生来、悪に傾きやすい性質持っており、善人生まれてくるわけではない」という主張考え方のことである。もっぱら性善説」と対比される

「性悪説」は、古代中国思想家・筍子が、ほぼ同時代人である孟子の「性善説」に反対して唱えた説である。ただし文脈によっては、筍子の説とは関係のない「人間本質は悪である」というような見解を「性悪説」と呼んで扱うこともある。

「性悪説」の基本的な意味

筍子は「人之性悪其善者偽也(人の性は悪なり、その善なるものは偽なり)」という言葉によって性悪説を説いた

性悪説における「悪」は、「悪い」というよりはむしろ「正しくない」あるいは「弱い」ということである。性悪説は「人間の本性暴徒のように凶悪である」と主張しているわけではない

「その善なるものは偽なり」の「偽」は、ニセモノ紛い物という意味ではなく、「人為的に成されるもの」という意味とされる。つまり、人は(生来は悪であるが)努力して善を目指すことによって善を獲得できるとされる

逆にいえば「善を目指し不断の努力をするのでなければ、弱い心は悪に傾いてしまう」ということでもある。

「性悪説」は、よく「人の本質先天的に悪なのだから、どうしょうもない」というような事かと誤解される。筍子の主張はこうではない。むしろ逆である。

「性悪説」と「性善説」の違い

筍子の主張した性悪説は、端的に言えば「人は先天的に弱さという悪を持って生まれて来るのだから、そのまま性、情に従ってしまえば争奪明け暮れ秩序乱れた世界になってしまう。だからこそ教育たゆまぬ努力によって善性を獲得し社会秩序成立させるべきである」という考えである。

孟子主張した性善説は、「人は先天的に善性を持って生まれ無垢な存在である、だからこそ利益だけを追求して奪い争いあうことをせず、仁義大事にして善であり続けるように努力しなければならない」という考え方である。性悪説と対比すれば、理想主義的な考えといえる

「性悪説と性善説違い」をかんたんにまとめるならば、両者の違いは「人は生まれながらに悪であるのか、善であるのか」という点に集約される。人は本来的に悪なのであれば不断の努力によって善性を獲得しなければならない。人は本来的に善であるならば、その善性を維持し続けることで社会秩序をもたらさなければならない。「善を目指す」という着地点違いはない。

せいあく‐せつ【性悪説】

読み方:せいあくせつ

人間の本性は悪であり、たゆみない努力修養によって善の状態に達することができるとする説。荀子(じゅんし)が唱えた。⇔性善説



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