じゃマールの創刊とその背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 02:34 UTC 版)
「じゃマール」の記事における「じゃマールの創刊とその背景」の解説
創刊当時の日本では「個人が情報交換の発信者になる」という概念は、後述するような萌芽は見られたものの、まだまだ希薄であった。当時、すでに先進的なメディアとしてNIFTY-ServeやPC-VANといったパソコン通信が全盛期であり、その方面では個人間の情報交換という概念が成熟していたが、これを利用するためには、MS-DOS・通信プロトコル・モデム操作など、コンピュータに関するある程度の知識が必要であり、日本全体から見ればほんの一握りの先進的ユーザがコンピュータを利用しているにすぎない状況であった。ましてインターネットは未だ黎明期であり、「普及」とは程遠い状況であった。なお創刊号が刊行された1995年11月は、日本でMicrosoft Windows 95の販売が開始された月でもある。 リクルートはこのような潮流に目をつけ、これを新事業とするべく、子会社のリクルートフロムエーを通じてじゃマールを創刊し、事業に着手していった。立ち上げには藤原和博(後、東京都杉並区立和田中学校校長)が関与していた。 創刊に際しては、リクルートからマスメディアに「多様化する個人の情報ニーズにこたえていきたい」という声明が寄せられている。
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