けんぞう‐てんのう〔‐テンワウ〕【顕宗天皇】
顕宗天皇
その後伊予の来目部小盾に発見されて、清寧天皇の知ることとなった。
子のない天皇はこれを喜び二人を皇嗣として迎えた。
やがて清寧天皇が崩御したが、億計、弘計ともに皇位につかず譲りあった。
しかし、皇位を虚しく空けておくわけにはいかず、結局弘計が皇位につき近飛鳥八釣宮に都して顕宗天皇となった。
第23代天皇 | |
天皇名 | 顕宗天皇 |
読み方 | けんぞうてんのう |
名・諱等 | 弘計尊 |
読み方 | おけのみこと |
時代区分 | 古代 |
天皇在位 | 485?年から487?年 |
生年 | 生年不詳 |
没年 | 没年不詳 |
父 | 磐坂市辺押磐皇子 |
母 | ハエ媛 |
兄弟 | 億計尊・飯豊青皇女 |
配偶者 | 難波小野王 |
皇子女 | □□□ |
即位宮 | 近飛鳥八釣宮 |
天皇陵 | 傍丘磐坏丘南陵 |
所在地 | 奈良県香芝市北今市 |
顯宗天皇 傍丘磐坏丘南陵
(けんぞうてんのう かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)
- けんぞうてんのうのページへのリンク