ぐら・こん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 04:06 UTC 版)
「ぐら・こん」(グランド・コンパニオン)は、『COM』誌上で真崎守が峠あかね名義で指導した読者投稿コーナーの名称。「日本全国のまんがマニアの集まりの場」として、漫画家、漫画家志望者、読者、批評家を全国的に組織化するという野心的な構想の名前にもなった(1967年3月号)。 前史として、寺田ヒロオに師事していた中部日本児童漫画研究会未完成倶楽部(1955年1月発足)制作による肉筆同人誌『未完成』が5号まで発行後、『すくりぷる』に発展。峠あかねが参加し、漫画評論など読み物記事が増加。発展して真崎守が代表を務める全日本児童漫画連盟(グランド・コンパニオン)が発行する『ぐらんど』が生まれ、全国の同人グループをまとめ、評論、ルポタージュ、まんが研究資料作成を行った。この活動を引き継ぐ意味で『COM』誌上で「ぐら・こん」が展開された。 当時、勃興途上にあった漫画同人誌にとって、『COM』という発表の場を与えられ、商業デビューの道が開かれたこと、そして全国の同人作家の交流が実現した意義は大きかった。「ぐら・こん」構想は不十分なまま挫折したが、やがて「日本漫画大会」を経て、漫画同人誌を売買するための催し、すなわち「コミックマーケット」の開催に繋がって行く。 「ぐら・こん」が輩出した漫画家としては、吾妻ひでお、飯田耕一郎、市川ジュン、勝川克志、河あきら、樹村みのり、忠津陽子、あだち充、山岸凉子、竹宮惠子、諸星大二郎などがいるほか、いしいひさいちは高校時代に「ぐら・こん」の基礎コースに2度入選したことがある。
※この「ぐら・こん」の解説は、「COM (雑誌)」の解説の一部です。
「ぐら・こん」を含む「COM (雑誌)」の記事については、「COM (雑誌)」の概要を参照ください。
- ぐらこんのページへのリンク