おもかげや泣きなが原の夕茜
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『苦海浄土』で知られる作家・石牟礼道子の俳句については、すでに2012年8月の現代俳句コラムで〈祈るべき天とおもえど天の病む〉を取り上げた。いまや幻の句集となった『天』のなかの一句であり、石牟礼道子の代表句といってもいいだろう。 その句集『天』を含む『石牟礼道子全句集 泣きなが原』(藤原書店)が、2015年に刊行された。待ち望まれていた句集であり、誰でも彼女の作品を心ゆくまで読むことができるようになった。 全句集には、2000年以降、藤原書店の雑誌『環』に毎号二句ずつ掲載された作品が「水村紀行」としてまとめられている。あとがきに「もともと独り言、蟹の吐くあぶくのようなもので、自分のことを俳人などとは露思ったことはない」とあるが、そのあぶくは美しく、いつも透明な悲哀の色をたたえて胸に沁みわたる。 掲句は「水村紀行」の一句、2014年春の日付をもつ。「泣きなが原」は九重高原にある地名で、美しい薄原の広がる草原とのこと。彼女の大好きな地名であり、俳句を始めるきっかけとなった場所でもあるという。それにしても、「泣きなが原」という響きが、すでにして民話のような悲哀の音色を奏でている。愛する人々、無念の死を死んだ人々、なつかしい人々のおもかげが、茜色に染まった夕空に次々と現れては消えていくのである。他界や異界を自由に往き来できる巫女のような石牟礼道子。その胸内から悲哀が消えることはない。 ちなみに、2011年夏には、次の肺腑をえぐるような句が生み出された。 毒死列島身悶えしつつ野辺の花 |
評 者 |
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備 考 |
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