大友義鎮(おおとも よししげ) 1530~1587
◇父:大友義鑑 室:一色山城守義幸(善孝?)女、奈多鑑基女 子:大友義統、親家、親盛
豊後・大友氏第21代当主。義鎮を廃嫡しようとした父義鑑が家臣に殺され(二階崩れの変)その跡を継ぐ。早くから安芸・毛利氏、肥前・龍造寺氏、薩摩・島津氏らと戦い、一時は豊・筑・肥6ヶ国を支配し、九州探題にも任じられたが、1578年島津氏に日向耳川に戦い大敗して衰勢に向かい、天下人羽柴秀吉の援けを受けその配下となった。義鎮はポルトガルや明と積極的に交易し、また、耶蘇教布教を許して教会、孤児院、病院などの施設を建て、1582年には少年使節をローマに派遣している。58歳で没。
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