いちじくを食べたこどもの匂ひとか
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評 言 |
朝日新聞の夕刊に「あるきだす言葉たち」というコーナーがあり、注目作家の俳句や短歌が掲載されている。(首都圏版のみらしい) 本句は平成24年9月11日に掲載された「丘にゐた」の15句から引いた。 さてこの句、「とか」で切れている! 「匂ひかな」「匂ひなり」などいくらでも「俳句的」な切れがあるだろうと思うが、なぜ作者は「とか」を選んだのだろうか。 いちじくは不思議だ。漢字では無花果。花がないように見えるが、実の中のあのつぶつぶが花だという。皮は手で剝ける。半分に割ると臓器のようだ。手のひらに収まる独特な形といい、アダムとイヴがはじめて身につけたのがいちじくの葉だったことといい、セクシュアリティを感じさせる要素が強い果実でもある。 セクシュアリティの要素は、もの食べるという手や口を使う行為にも存在する。本句の場合は視覚だけでなく、手ざわり、歯ざわり、舌ざわり、味覚、嗅覚などすべての感覚を呼び起こそうとする。 それだけではない。ものを食べる前後で匂いが違うということは経験から容易に想像できるが、「いちじくを食べたこどもの匂ひ」というと、人間か動物かさえ定かでないようなことばの結びつきを感じる。口中だとか地下の世界に引きずり込まれるような恐ろしさである。 「とか」を使うことですこし緩めて可笑しみを表し、「いちじくを食べたこどもの匂ひ」と日常とを緩衝するような効果を出しているのではないだろうか。 そんなことをぐるぐる考えていると、「とか」切れが必然に思えてくる。 写真提供:Photo by (c)Tomo.Yun |
評 者 |
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備 考 |
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