あゆみの箱チャリティショウとは? わかりやすく解説

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あゆみの箱チャリティショウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 21:45 UTC 版)

サンパウロ日伯援護協会」の記事における「あゆみの箱チャリティショウ」の解説

1971年1973年二度わたって行われたあゆみの箱チャリティショー援協基金作り大きく貢献し、また当時ブラジル日系社会行われた最大規模娯楽イベントである。このイベントきっかけ1971年1月日本あゆみの箱代表理事伴淳三郎ブラジル訪問し中沢援協会長会談したことに始まる。当時援協基金作り最中にあった中沢周囲勧められショー開催決意した。このイベントでは援協主催団体となり、協力団体として他の日系福祉団体として参加しサンパウロ州スポーツ観光局とサンパウロ市観光局後援して強力な実行組織結成した第1回あゆみの箱チャリティショウサンパウロ市のイブラプエラ体育館1971年8月2122日2日間にわたって4度公演が行われた。出演者伴淳三郎坂東三津五郎森繁久弥勝新太郎京マチ子鶴田浩二春日八郎渡辺はま子、冠船流川琉球舞踊団(川田礼子川田功子、川田公子)、大谷瑠美子、玉川勝太郎志摩夕起夫であった。このショー入場者は延べ1万7,000人に達し、粗収入833,623クルゼイロ純益34158クルゼイロ当時1ドルが約5クルゼイロであった)と大成功収めた援協主催者団体として158,000クルゼイロ受け取り協力団体として参加した社会福祉法人救済会、パウリスタ児童療護会(現・社会福祉法人こどものその)、希望の家福祉協会3つの日系福祉団体にも配分された。残った1万5,000クルゼイロは非日系5つ福祉団体均等に寄付された。 第2回あゆみの箱チャリティショウ1972年3月ブラジル日系社会受けた歓迎応えてあゆみの箱第2回チャリティショウ開催援協打診してきた。しかし、有名芸能人のスケジュール調整難しく実現1973年8月1719日3日間に公演決定した会場前回と同じイブラプエラ体育館出演者伴淳三郎坂東三津五郎森繁久弥長谷川一夫京マチ子淡島千景長谷川稀世坂東三津十郎花柳芳次郎引田天功、冠船流川琉球舞踊団(川田礼子川田朝子川田功子、川田公子)、千昌夫柳沢真一松島みどり榎本美佐江志摩夕起夫寺岡慎二であった二度目公演では観客数は3万人越え総収1464,195クルゼイロ純益41クルゼイロ当時1ドルが約6クルゼイロになった援協18クルゼイロを受け、残り日系の9団体病院配られた。

※この「あゆみの箱チャリティショウ」の解説は、「サンパウロ日伯援護協会」の解説の一部です。
「あゆみの箱チャリティショウ」を含む「サンパウロ日伯援護協会」の記事については、「サンパウロ日伯援護協会」の概要を参照ください。

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